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2022.01.19INTERVIEW

いかにして業界のゲームチェンジャーとなったのか。不確実な時代の中でキャリアを切り拓くための「本質」に迫る。

株式会社プロタイムズ総合研究所 代表取締役 大友 健右(おおとも けんすけ) 様

年商2~3億円程度の会社の多い外装業界。その中でサービス開始から10年で年商40億円を突破し、業界のゲームチェンジャーとして注目される株式会社プロタイムズ総合研究所の創業者である大友さんにお話を伺いました。ご自身のキャリアについてはもちろん、ゲームチェンジャーと呼ばれるまでに至った背景にある考え方に迫りました。また、不確実な時代の中でどのようにキャリアを切り拓くのか。大友さんのお話から本質が見えてきました。


~プロフィール~
1972年東京生まれ。大手マンション会社で営業手法のノウハウを学んだのち、大手不動産建設会社に転職。東京エリアにおける統括部門長として多くの不動産関連会社と取引、不動産流通のオモテとウラを深く知る。その後独立し、外壁塗装・屋根塗装などのリフォーム業務を行う株式会社プロタイムズ総合研究所・代表取締役社長に就任。 賃貸における複雑な商習慣を解消すべく 2012 年に株式会社アルティメット総研を設立し、代表取締役社長に就任 (翌年に賃貸マッチングプラットフォーム「ウチコミ!」の運営を開始する)。2020年7月、プロタイムズ総研が行う外装リフォーム事業にて、新ブランド「ヤネカベ」を立ち上げる。現在、株式会社ウチコミおよび、株式会社総研ホールディングス・株式会社プロタイムズ総合研究所代表取締役社長を務める。

 


悪しき商習慣を覆す。“ずば抜けて”役割をやり切った11人で始まったプロタイムズ総合研究所

―プロタイムズ総合研究所を創業するまでの経緯や、これまでの経歴について教えてください

最初に入社をした会社は投資用マンションを扱う不動産会社で、営業職としてキャリアをスタートしました。その後、大手不動産会社に転職し、11年にわたって営業として働きました。当時、その会社の売上の伸び率は業界内で日本一を誇っており、その会社の営業責任者を務めていたので、まさにその当時は業界で一番営業をしていたと言っても過言ではありませんでした。

それだけ愛着ある会社でキャリアアップできたのに、なぜ会社を去ることにしたのかというと、創業社長が亡くなり、2年間に4人も社長が交代するという騒動が起こり、自社の株式が売却されているということがあったからです。このままでは将来が見通せないと考え、11人のメンバーと共に会社を飛び出し、創業するに至りました。

住宅業界の中にはヒエラルキーが構成されており、川上には前職であるハウスメーカーがあり、川下にはリフォームをはじめ外装業が位置しています。川下から川上へステップアップすることがあっても、川上から川下に移っていくというのはユニークなキャリアだと言われますね。

そんなユニークなキャリアが築けるだけのパワーやエネルギーがあって、既成概念に囚われている外装業界を変えようという気持ちでいたのですが、正直、外装業に強いこだわりがあったわけではなく、「何をするかよりも誰とするか」を一番に考えていました。結果として外装業となったのも11人という集団が一番活きるユニークなところを探した結果です。

―結果として外装業界で会社を興したとのことですが、ずっと不動産や住宅関連の業界でキャリアを積まれています。何か特別な思い入れなどがあったのでしょうか

投資用マンションの不動産会社に入社をしたといっても、実は、不動産に関わる仕事は好きなわけでは全くなく、憧れもありませんでした。むしろ、学生時代は絶対にやりたくないとさえ思っていましたね(笑)。

私の世代は団塊ジュニア世代と呼ばれ、同世代の人数が多く、中学・高校と1学年に10クラス以上というのが当たり前の時代でした。さらに、この世代が大学を出て新卒として就職活動をする頃はバブル崩壊と重なり、ただでさえ人数が多い中で景気も悪化し、まさに就職難の状況にありました。だから、仕事を好き勝手選ぶことが出来なかったわけです。

そうした状況で仕事を選ぶためには、資格や経歴がなければなりません。そうなると資格を取得しているかとか、研究活動を深め高度な専門知識をもっているかとか、ビジネスを担った実績があるかとか、そういったことが必要となるのですが、そんなものもありません。

どこの会社を選ぶかという以前に、自分の実績づくりをしなければと考え、年功序列なく実力主義で評価される会社を探したときに不動産業界に行きついたという訳です。

―そうした背景があったのですね。プロタイムズ総合研究所を立ち上げるパワーやエネルギーとはどういうもので、どこから湧き出たものなのでしょう。また会社を立ち上げるというのは勇気のいる決断だったのではないでしょうか

エネルギーは元々持っている人間だと思っています。阪急・東宝グループの創業者である小林 一三さんの名言に「下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。そうしたら、誰も君を下足番にしておかぬ」というものがあるんですね。

豊臣 秀吉もそうでしたが、下足番の役割をやり切った結果、もっと上の階級に進んでいます。先ほど、好きでもない不動産の仕事からキャリアをスタートしたと言いましたが、始めたばかりの時には誰しも迷いの連続の中にいるものです。本当にこの会社で良いのか、この仕事で良いのか、悩むものです。

ただ、どこにいたとしても、自分自身に与えられた役割が何であったとしても、そこでやり抜く成果を出すことが出来れば、それが自信に繋がり、上へ進む道が拓けてくるものです。私の場合には20代で不動産業界の営業職として成果を上げて、自信とすることが出来ました。それがパワーやエネルギーとなっているのだと思います。

会社を立ち上げることに勇気はいりません。そうではなく、居場所が変わっても与えられた役割で成果を上げることに勇気やエネルギーが必要なのです。ですので、自分の中では特別な決断ということではありませんでした。

―一方で、11人の方を率いての会社設立です。他のメンバーの方はどのように説得されたのでしょう

この11人も自分の役割に徹していたメンバーですので、同じような想いを持ってくれていたと思います。また、創業者が亡くなり、代わる代わる経営者が変わる中で、会社のカルチャーが全く違うものに変容していってしまいました。カルチャーが変わるということは、器としては存在しても以前の会社は無くなったに等しいと考えました。会社に居続けるのではなく、別の道を選択するのも当然の判断だったように思いますね。

また、全員に私が声をかけて引き連れたのではなく、私が声をかけた仲間が、また別の仲間を誘うというように連鎖していったのです。それぞれの仲間の感性に合う人が加わっていきました。チームを運営するにおいて一番大事なものはカルチャーであると考えますが、それを形成するのは人の感情や感性が合致してのことです。ですので、皆が同じ方向を向いて事業をスタートすることが出来ました。

―先ほど11人の集団の能力を一番活かせるところが、結果として外装業であったと話されていましたが、そうは言っても川上から川下まで広い住宅業界で、なぜこの川下の分野に進まれたのでしょうか

まず、住宅業界の川上でしっかりと成果を上げてきたことが武器であり、セールスポイントになりますよね。また、外装業界や、外装にかかわる仕事は、とにかくカルチャーが悪かったのです。ビジネス構造として下請け、孫請け、ひ孫請けと言うのが当たり前の世界です。そうなると、そこで仕事をする人はどんどん卑屈になってしまいますよね。実際に下にいくほど仕事に面白さを感じられず、労働意欲の低い職人が多かったのです。

そうではなく、仕事のやりがいを感じ、会社の理念や目指す方向をきちんと落とし込んで、働く人にエネルギーが溢れるようにしたいと考えました。既成概念やセオリー、前例主義に倣って最後尾につく会社になるのではなく、革新的な取り組みをしたい、できるという想いがあったんですよね。
 


革新的な取り組みをするには、本当に信頼できる人間関係を構築すること

―その革新的な取り組みを実現するために、まずは何から着手されたのでしょう

方法論はたくさんありますが、それはどれも表面的で、いくらでも真似ができるものです。例えば、当社のHPのデザインやサービスのPRなどを模倣する同業他社はたくさんあります。ですが、それでは何も変わりません。本質は人と人との関係性にあるのです。

この業界は労働集約型で、人に依存する仕事です。表面的な方法論ではなく、人間関係の在り方を変えたことが、革新的な取り組みとなりました。

―どのような点で革新的だったのでしょう

現場で作業をする職人は、どうせサボるだろうとか、手を抜いてごまかすだろうと思われ、性悪説なマネジメントをとる業者もたくさんありますが、それはある意味当たり前のことなんです。

マンションの賃貸であれば、100㎡の物件を探そうとなったときに、どの会社でもきちんと情報が出てきます。これは免許制の商売だから、嘘をつくことができません。一方でリフォーム業は法律による規制がほとんどありません。外装のリフォームをするにあたって複数の会社に見積を依頼したとしても、それぞれが適当な金額である場合も多く、比較の意味を成さないのです。非常に異質な部分ですよね。

無理な納期や、適正でない金額で施工されるとなると、当然、職人はそれに合わせるための対応をしていきます。例えば、納期に間に合わせるため、乾燥時間が短縮できるように塗料を薄めるといったようなことです。

京セラの経営や、JALの経営再建で手腕を振るった稲盛 和夫さんが掲げるフィロソフィに「現場主義に徹する」というものがありますが、まさに現場の職人がどのような状況にあるのかを知ったうえで、人間がやる仕事ですから、職人ともチームとしての人間関係を築き、信頼を深めていきました。

お客様への営業や、信頼を得るということについては、不動産業界で長年の経験があるメンバーです。既にできる集団でしたので、商慣習を知り、現場の職人との関係を見直しました。

―現場で仕事をする人と信頼関係を構築するというのは、当たり前のように思えるのですが、そうしたことも出来ていなかったのでしょうか

「人間関係を大事にしていますか?」と聞かれたら、どんな会社でも「大事にしています」と答えるでしょうが、本当に深い関係性にあるかどうかは分かりませんし、疑うところもあります。

マネジメントの持論として「何を言うかより、誰が言うか」ということが本質ではないかと考えます。どんなトーク内容かに目がいきがちですが、そうではなく、受け手にとっては内容よりも、信頼できる人から言われているかどうかの方が重要です。より信頼できる関係を築かなければ、革新的な取り組みはできません。

それから、人はビジョンがないと動かないものです。この先、どうしていくのかという指標がなければ変化する必要性を感じませんよね。だから次の景色であるビジョンを見せるようにしていました。こうした会社は外装業の中にはありません。

―創業からビジョンを提示し続けられたということですね

はい。仲間に対してビジョンを示し続ける会社は外装業には他にありません。今は業界のNo.1を伺う地位まで会社が成長しており、その地位に立つことをビジョンとしています。

創業当時は営業車のリースで審査が通らない、金庫の中には5万円しかない、営業に必須な電話も3台しかない、といった状況でしたが、“業界に革命を起こす”というビジョンを仲間と共有していました。

そんな何もない時代には、業績の拡大よりも、我々の想いに共感し、仲間が増えていくことに喜びを感じていましたね。
 


セコンド役として未来を一緒に考える。そしてユニークであり続ける。

―仲間が増えるという点では、職人を正社員として雇用することがユニークであると注目されていますね

職人には自分のキャリアの模範となるようなものが全くありませんでした。若ければだれでも挑戦できる仕事ではあり、確かに若い内は一般的に正社員として働くよりも稼ぐことはできるでしょうが、社会保険もなく、とても不安定です。そんな世界で良いのか、と問題意識を持ったことが正社員雇用をはじめたきっかけでした。

職人の仕事はアスリートのようで、若い内は活躍できるものの、年齢を重ねるとそうはいきません。人は必ず死を迎えるものですし、その前には老いが来るものです。20代や30代の職人にはなかなか実感はわかないかもしれませんが、健康であり続けることが出来なければ暗い未来しかありません。明るい未来が見える仕事にしたいと考えたのです。

また、正社員として雇う上で、チームへの帰属意識というか、愛社意識をいかに持ってもらうかも考えました。会社が大きくなるにつれて、自分が次にどのポストに就くのかを見えやすくすることにはこだわりましたね。リーダーとなり、マネジメントをするようなポストに進むことができるのを見せることで、より自身のキャリア形成を意識できるようになるはずです。

それに加え、職人を正社員として雇用することは、チームの一員として役割を与えていくことにつながり、自分だけが良ければいいという考えをなくし、チームそのものが良くなるために主体的な役割を担うようになっていけば、手抜きをする、ごまかすといった悪しき文化も一掃できると考えました。

―職人の方を正社員として雇用しつつ、新卒採用も実施されています

定期採用は2010年8月からスタートしました。当時は求人を出しても60代以上の方からばかり応募があり、若い方には見向きもされない業界なのだと実感しました。ただ、若いときから外装業に進みたいと考える人は少ないものだよね、とも理解していました。

若い人から応募してもらうためには、「働かせてやる」という募集から「働いていただく」という募集に意識を変えないといけないと考え、そこからは社員の紹介など、今でいうリファラル採用のようなことを始めていきました。社員の友人や兄弟が入社をしています。

例えば、営業としてNo.1の実績を持つ社員の兄が入社し、そこから、その人の妹の旦那さんが入社するといったこともありましたね。あとは、社員がよくいく美容室の美容師が入社したり、よく洗車で使っていたガソリンスタンドのスタッフが入社したり、たまたま乗り合わせたタクシー運転手が転職した、といったこともありました(笑)。「楽しい会社だからどう?」と当社の社員が誘っていってどんどん社員が増えていきました。

そしてある程度の規模になった5年前、生え抜きの新卒採用を実施しようとなりました。最初はウチコミ事業のインターン生を採用し、翌年に3~4名程度で採用をしています。今年は16名の採用となりました。

当初こそ、応募いただいた方には全員にお会いし、入社をしたい意志のある方は拒まずに受け入れていましたが、今ではおかげ様で多くの方にご応募いただくようになり、お断りすることも出てきました。ただ、一度社会に出て、転職を考えているという人の方が、当社のことをより魅力的に思ってくださるようです。

※大友さんが代表取締役を務める株式会社ウチコミで展開する事業。仲介業者を挟まず、入居希望者と大家さんを直接マッチングさせるECサイトを運営している。

―新しい仲間を採用する時にはどのようなポイントに着目されているのでしょう

冒頭にお話したような、エネルギーがある方かどうかは見ています。スキルや経歴よりも、役割に徹し、そこで何かを成し遂げるような力があるかを見ていますね。

一方で、最初からそのような勇気やエネルギーのある方であれば、極端な話、放っておいても勝手に成長していくものですが、多くの場合はそうではなくセコンド役というか、父親役のような存在が必要です。

―セコンド役ですか

創業当時は日本で一番お金のない会社であったのですが「絶対に会社を成長させる」という「自信」があって、今に至っています。「自信」とは「自ら信じる」と書きますが、言い換えれば自らを未来にアジャストできるかどうかということであり、この先に可能性を見出すことができるかということです。

未来のことはまさに未知なことですよね。そうした中で、未来を信じることが出来るようになるかは、自分以外にも同じように信じてくれる人、すなわちセコンド役が必要だということです。人の可能性は無限であり、どんな方であっても、しっかり集中して正しい方向を向くことが出来れば自ずと成長していくものです。

―人材育成にも注力されています。入社後の育成にあたってはセコンド役としてどのような意識で取り組まれているのでしょう

先ほどの繰り返しですが「何をやるかより誰とやるか」ということを大事にしています。若い方の転職理由の多くは、その会社での人間関係に起因するものです。そうであるなら、人間関係が良くなるように会社が手を加えないのは非常にもったいないことですよね。

そこで、例えば表彰制度を実施するとか、全国の社員が参加する全体会議を軽食やお酒などを用意して毎月開催し、交流を図るようにしています。また、目標達成時には全社を挙げての「ビールかけ祭り」なども実施していました。何事もやり切ることを大事にしています。今はコロナ禍でなかなかそうした取り組みはできませんが、学生時代の部活動やサークル活動の様に、社員同士の人間関係を良好にすることには注力していますね。

スタジオジブリのプロデューサーである鈴木 敏夫さんは「仕事を祭りにする」と言っています。これは私のマネジメントの考え方でもあるんですよね。チームを構成する一人ひとりの感情が空気感や文化を創り上げていくものですから、一人ひとりが楽しいと感じてくれるなら、自ずと仕事ができていくようになるものです。

ちなみに、当社には200人くらいの従業員がいますが、たぶん、本当に外装業に行きたいと思っていた人は一人もいないんじゃないでしょうか(笑)。この業界、この会社がユニークで面白いと感じて入社してくれているんです。
 


―たしかに、ユニークな考え方で色々な取り組みもされていますね

村田 諒太さんというミドル級(体重69キロ超 75キロまで)でスーパーチャンピオンになったボクサーがいます。70キロ台の階級は欧米諸国をはじめ様々な選手が参加しており、その中でアジア人としてチャンピオンの栄光を手にすることは大変な努力を要することだと思います。

一方、日本人の中で世界で最も高く評価されているボクサーはバンタム級(体重52キロ超 56キロまで)王者である井上 尚弥さんです。アメリカの権威あるボクシング専門誌「ザ・リング」が格付けする「パウンド・フォー・パウンドランキング」という、仮に体重差がない状態で全階級で誰が一番強いのかを示したランキングで、日本人歴代最高2位の評価を受けています。

50キロ台の階級はアジア人選手が中心です。仮に相撲のように無差別なら、今のように井上選手が活躍していたかというと、そうではないかもしれません。もちろん、階級制のあるボクシングですから、あくまで仮定の話ですが。

何が言いたいかというと、階級を業種に置き換えれば、井上選手は自分が活躍できる業種の中でずば抜けています。当社も外装業という中でずば抜けることが出来て、それを維持しているから、ユニークであると思われているんだということです。

私にとっても、やりたくなかった不動産や住宅業界でキャリアを積んだからこそ、自信がついたのかもしれません。仮に、当時の学生に人気の業界に就職していたら、こうはならなかったかもしれませんね。
 


VUCA(ブーカ)の時代であることが、本質だ。ゲームチェンジャーであり続ける理由

―ここまで色々なお話を聞かせていただきました。コロナ禍など、大きく変動する社会で、既存のあり方などが見直されています。特に、20代はまさにこうした中でキャリアを積んでいかなければなりません。ゲームチェンジャーとして活躍されている大友さんは、どのような考え方や姿勢が必要となると考えていますか

まず、本質がどこにあるのかということを考えてほしいです。学生時代は団塊ジュニアでお金もなく、古本を買ってよく読んでいました。古本ですので、親世代のベストセラーであることが多かったのですが、団塊の世代はイデオロギーの時代。三島由紀夫などの考えに触れることもありました。

そうした作家が自著の中で討論や論争をしていることが面白かったんですよね。イデオロギーの論争というのは、思想というか哲学と密接不可分です。そして、その思想や哲学が対立する同士が争うわけですが、そこで問われているのは「本質がどこにあるのか」ということです。ここでの学びから、常に本質が何か、どこにあるのかを考えるようになりました。

本質を見極めると、現状のこの業界の常識や既成概念、セオリー、前例といったものがいかにくだらないものかが見えてきたのです。どんな世界であってもその時々の常識が変化しないことはありません。例えば昔なら、新卒で入社した社員はダークスーツにネクタイを締めることが当たり前でしたが、今ではそうではない企業も多くなっていますよね。それに、裁判であっても、その時ある法律や法解釈で判決は下されますが、時代が変われば全く違う判決となることもあります。

常識や前例を後追いで学ぶことを疑う視点がなければ、永遠に前例を追いかけ続けることになり、革新的な取り組みをすることは絶対にできないでしょう。

また、ゲームチェンジャーというのは「異端」ではなく、「次の時代のスタンダード」です。変化することが自然です。既存の常識だけが不変であり続ける理由は全くありません。昔、安定を求めた団塊の世代では鉄鋼業への就職人気が高まりましたし、30~40代は広告代理店やマスコミが人気でしたが、今では全く変わっていますよね。

つまり、変化し続けることの方がむしろ安定しているのです。どこに行っても「破天荒」や「異端児」と言われることがありますが、そうでない方が不安定です。

2016年にWEF世界経済フォーラム(ダボス会議)で、多くのビジネス界の著名人が「VUCA(ブーカ)の法則」を唱えました。VUCAとは、Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)というそれぞれの単語の頭文字をとってのものですが、要するに「予測不能な状態」のことです。

その前から、私は予測不能で不確実な時代であったとは思いますが、これこそ本質ですよね。ただ、特に日本人は心が弱るとブーカの法則の逆に走るようになるもので、「安定」「確実」「単純」「明瞭」なものに心が惹かれていくようになります。

しかし、これはまやかしです。安定や確実なものを求めるのであれば、常に模索し、自ら動き続けることがなければ手に入りません。自然と手に入るものではないのです。このことをぜひ、伝えたいですね。
 




株式会社プロタイムズ総合研究所
「ヤネカベ」というサービスブランドを展開し、外壁塗装・屋根塗装・屋根葺き替え工事・外壁張替工事・雨漏り防水工事などの外装リフォームを専門としている。業界では日本一の成長率を誇るサービスであり、年商2~3億円規模の企業が多い業界の中、創業10年で年商40億円を突破。業界でもトップクラスの売上高を誇る。下請けの仕事を一切排除し品質を担保すること、未経験から職人を正社員で雇用し育成すること、「ルールよりカルチャー」を重んじ人が辞めない会社としたこと、施工完了までのプロセスを公開し見える化を図ったことなど、前例のない取り組みから信頼を重ね、累計施工件数は20,000件を超える。その他、塗装職人の技術向上のための「塗装技能オリンピック」、子ども向けの塗装教室、外国人職人の採用・育成といった幅広い社会活動にも取り組んでいる。
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