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2022.03.16INTERVIEW

「音楽で世界中の人々を繋ぐ」音楽SNS「nana」の生みの親が模索し続けた「何者かになる」ということとは

20代の働き方研究所 研究員 Y.S.
株式会社nana music
CEO  文原 明臣(ふみはら あきのり)様


登録ユーザー数1000万人を誇る音楽コラボSNS「nana」。7割が20代以下のユーザーであり、半分が外国人ユーザーと、若い世代を中心に国境を超えて根強い支持を受けています。今回はnanaの運営会社である株式会社nana musicの創業者でありCEOの文原さんにお話を伺いました。自己表現が苦手な幼少期から歌手やF1レーサーを目指すなど、常に「何者かになりたい」と模索し続けてきたこれまでの経歴、nanaが多くのユーザーから支持を受けるまでの過程や自分の実現したいことをビジネスとして成立させるために必要なこと、そして同じように「何者かになりたい」と考える読者へのメッセージをお話しいただきました。

 

歌手、レーサー、そして経営者。nana musicが生まれるまで

―nana musicをご自身の手で設立されたそうですが、そこまでには歌手を目指したり、プロのレーサーを目指されたりと、色々なご経験を積まれたそうですね

そうなんです(笑)。10代の時に音楽に興味を持ったところから始まっています。当時、スティーヴィー・ワンダーのファンで「彼のようにパワフルに歌えるようになりたい!」と思い、15~16歳くらいの時に独学で歌を勉強し始めたのです。

そして19歳の時に車の免許を取得するのですが、いざ免許を取ってみると運転が面白くなっていき、次第にモータースポーツも見るようになりました。当時は2004年頃で、F1ドライバーの佐藤 琢磨さんに憧れをもっていたのです。

私は高専の出身ですので、20歳で学校卒業を迎えるのですが、この時に歌手になるかレーサーになるかの選択に。その結果、歌手はこの先何歳になってもなることができるものの、レーサーはモーター“スポーツ”と言うようにスポーツですから若い内でなければ挑戦できないと考え、レーサーの道に進みました。

実際に19歳~24歳までモータースポーツに打ち込んでいました。ガソリンスタンドでのアルバイトでお金を稼ぎ、2008年には鈴鹿サーキットスクールに入学しました。入学時こそトップの成績で入学したものの、一緒に入学した人は16~17歳でレース経験10年以上の若い人ばかりで、経験年数3年程度の自分が卒業する時には実力差が生まれていました。

2009年にはなんとかお金を集めつつS-FJクラスに出場しましたが、モータースポーツは非常にお金がかかる競技です。5戦あった内の3戦しか参加できず、レース活動を諦めることに。その後はモータースポーツイベントの主催やパーツの販売代行を個人事業主として仕事を請け負いながら何とか活動を続けていましたが、少しずつレーサーとして活動していくことに限界を感じるようになっていきました。

―そこからどうやって方針転換されたのでしょうか

丁度そのころ、Twitterを使い始めたんです。Twitter上で色々な人の呟きに接する中で、東京のTech系企業の方と繋がる機会を持ちました。それまで、ぶっちゃけITに関しての知識は全くありませんでしたし、何となくITって情報商材やアフィリエイトばっかりで胡散臭い世界とすら思っていたんです(笑)。ですが、実際にはそうではなく、社会を良くするためのサービスを次々に生み出していることを知りました。

そして、Twitterで繋がった人の多くが起業をしており、自身の手で何かを始めたいと思うようになったんです。

そうした中、2010年にハイチ沖地震が発生します。世界中から様々な支援がなされる中、チャリティー動画「We are the world for Haiti YouTube edition」に出会ったんですよね。音楽で世界が一つに繋がっていく、これがインターネットの力なのかと感動しました。一方で、それでもつながっているのは数か国のアーティストのみ。音楽の力だけではなく、もっとインターネットの力を駆使し、人と人が繋がり合う世界を実現したいと考えたのです。

当時、iPhone3Gsを購入したばかりでスマートフォンのボイスメモアプリに歌を残す一人遊びのようなことをしていたんですが、スマートフォンを介して、一人ひとりの歌をオンラインにあげて、誰もがそこに音を乗せることが出来ればきっと面白くなると感じたんですよね。これまではそんなことをしようと思うなら、パソコンや専用機材が必要でしたが、多くの人のポケットにあるスマートフォン一つで気軽に簡単に参加できるわけです。そして気軽に参加できるということは、何も楽器じゃなくてクラップで音を乗せるということでも良いんです。スマートフォンでどんどん繋がりが広げていくことを実現したいとワクワクし始めました。

24歳でF1レーサーの夢を諦めたこのタイミングでしたが、実現したいことに出会えたことで、冷めていた自分に熱が戻ってきた感覚がありました。

―そんなことがあったのですね。そこからはどのように会社を設立したのでしょう

自分はエンジニアでもWebデザイナーでもありません。まずは仲間を集めないといけないと考えました。しかし地元ではなかなか出会いがなく、東京で開催されるTech系の勉強会に通うようにしていました。そこで出会った人とならどんどんやりたいことが進んでいくと実感しましたね。

そして2011年のゴールデンウイークに東京在住のエンジニアの方に出会います。ちょっと変わった出会いだったのですが、当時、東京で宿泊させてもらっていた友人宅の風呂が故障して、銭湯にいかないといけなくなったのですが、どこか良い銭湯がないかTwitterで呟いていたら、それに反応してきた人だったんですよね(笑)。その後、機会があって渋谷で出会い、自分がやりたいことを6時間かけて話をしていたら、「面白そうだからやってみよう」となったんです。その人が実は後にCTO(最高技術責任者)になるのですが、彼はサーバサイドエンジニアで、その後、デザイナーとiOSエンジニアを見つけ、創業に漕ぎつけたのでした。

創業をしてもまずは資金が必要です。そこで、ソフトバンクグループ会長の孫 正義さんの弟である孫 泰蔵さんが社長を務めるMOVIDA JAPAN株式会社のインキュベーションプログラム※に参加し、第一号に採択されたのです。そこで500万円の出資を受け、このタイミングで東京に拠点を移しました。

―レーサーを目指され、そして今度は音楽で人と人とが繋がり合う事業を興されました。一周して音楽の世界に戻ってきているように思いますが、どのような心境の変化が、その間にあったのでしょうか

私は少し物事に対して斜に構える気質があるようなんです(笑)。最初嫌いなものほど後で好きになるというか、多くの子たちは小学生頃から音楽好きで、教室でも音楽の話題で盛り上がったりしていたと思いますが、当時の自分は音楽をなぜ聴くのか全く理解できませんでした。でも、中学校2年くらいに興味が出てきて友人たちの話題に入りたくて(笑)。当時はGLAYやL'Arc-en-Cielが周りで流行っていたんですが、皆と一緒は何だか嫌で。結局初めて買ったCDはB’zの「ギリギリchop」という、そんな子どもでした。

そんな時に缶コーヒーの「FIRE」のCMでスティーヴィー・ワンダーの歌を聞き、感動してこんな風に歌いたいと思うようになったんですよね。

その後になろうと思ったF1レーサーについても同じようで、私の兄はレースに出るくらい車が好きだったわけですが、それを見て「何が面白いの?」と思っていました。ですが、免許をとってみるとこれがメチャクチャ面白かったわけです。

最近もありました。Web3.0※の時代の到来が話題になり、アバターを介してメタバースの世界で交流することに注目が集まっています。目指すべき世界観や思想的には2.0と呼ばれた時代から別に変わっていないのに、あえて上下で表すような論調もあって、ぶっちゃけそこに反発心もあったんですが、実際にWeb3.0周りの技術を知っていくととても面白くて、今は虜です。

こうしてみていくと、歌手からレーサーを目指し、そして世界に向けたサービスの確立を目指して動いてきたわけですが、いつも常にワクワクしていないとダメな気質なのだと思います。

中学・高校生くらいまではその場の雰囲気に流されるタイプの学生でしたが、自分は何のために生きているのだろう、自分の価値とは何だろうと考えた結果、何かを証明したい、何者かになりたいと思い続けてきたのが根底にはあるのだと思います。

※Web3.0時代とWeb2.0時代
Web1.0時代はWWW(World Wide Web)が普及し、ウェブサイトを作って情報発信できるようになった時代。Web2.0時代はSNSが普及し、双方向のコミュニケーションがとれるように。Web3.0時代はGAFAMにより独占された権力の分散を目指し、複数ユーザーが情報共有できるブロックチェーン技術を用いることで可能とされている。


 

多くの人に感動とワクワクを届けたい。ファンに支えられながら成長したビジネス

―そうして事業を興されていったのですね。一方、当時はSNSも今ほどユーザーも多くなはなかったでしょうし、前例のないサービスということもあって、仲間が集ったとはいえ、事業化は難しい挑戦だったのではないでしょうか

実は当初は「事業化」をあまり強く意識していませんでした。14~15歳くらいからインターネットの世界にどっぷりハマって、個人サイトやチャット、ゲーム、ニコニコ動画等、そこで生まれていたネットカルチャーを見てきました。そして、SNSの登場に伴い、誰もが自分の意見を発信できる世界が訪れ、それに対して非常にワクワクするようになっていったんです。

確かに事業化当時は、今ほどSNSユーザーは多くはなかったですが、その価値は疑ってはいませんでしたし、PCレベルのことがどんどんできるiPhoneを使うことへの感動と可能性も感じていました。

そこから自分が描いたサービスをつくりたい、つくるためには仲間がいる、仲間が集まれば組織を作らないといけない、そしてそれなりの資金も必要だから法人化しないといけない・・・といった具合に、やりたいことを実現するための手段が事業化だったということなんです。

「We are the world for Haiti YouTube edition」がこの構想の起点にあるとお話しましたが、プリミティブな感動があるものだと思っていたんですよね。人の本能に直接訴えかけてくるような感動というか。だから、この取り組みには絶対に価値があると信じて揺らがなかったのです。

仲間集めに1年以上を費やしましたが、地元の関西から東京に出てきたり、新しい人との繋がりが出来たりと、毎日が新鮮な事ばかりでした。だから大変だったという思いもそんなにありませんでしたね。

―手段としての事業化ということですが、そうはいってもインキュベーションプログラムを通過されていますし、ビジネスとしてきちんと成立させなければならなかったわけですよね

それはそうですね。例えばnanaのようなことをやってみたいと思ったとして、単発企画としてスポンサーを集めて実現するという手段もあったんでしょうけど、継続的なサービスにしたいと考えていました。音楽で人と人とが繋がりあうプラットフォームを作りたかったんです。継続のためには資金が必要で、だから最初から株式会社としてやっていくという設計にしていました。

インキュベーションプログラムの通過の件は、いわゆるシード投資家の人々はこの時点で精緻な数値計画なんて求めていないものです。もちろん、その数値を出すためのロジックは重視していますが、それよりも投資家から事業プランに対して質問された時に、きちんと考えて回答できるかということや、その事業を成し得るためのチームがあるか、何より諦めなさそうかとか、そういったことを重要視されていたと思います。

孫 泰蔵さんの場合には、特に当人の情熱、大きな夢を持っているか、ということを大事にされていたように思いますね。ただ、今も時折当時の事業計画書を見直すことはありますが、それは酷いものでした(笑)。

―そうして始められて、今では10年間も続いています。起業しても10年続く会社というのはそう多くはありません。この間はどのような取り組みをされていたのでしょうか

工夫や取り組みというと難しいですが、当初から実現したいと思っていた、多くの人々を感動させたり、ドキドキ・ワクワクさせたりすることはまだまだ途上だと思っています。ただ、実現したいことがあるからモチベーションは下がっていません。

そうしたモチベーションがベースとしてあって、あとは現実的なところでお金を工面しないといけません。インキュベーションプログラムの通過はありましたが、その後はもっと多くの投資家の方々に「こんな事業をやりたいから助けてくれ」と声をかけていって、話を聞いてもらっていました。CEOの仕事はビジョンを実現するために必要なことなら何でもやる、必要なものを集めることですからね。

もちろん、良いことばかりではありませんでした。2013年2月には一度資金がショートしてしまい、10ヵ月ほど自転車操業を余儀なくされた時期もありましたね。でも、ビジョンに共感してくれた投資家の方に5,000万円の資金を出資してもらいました。また、ユーザーの方からこの事業を継続してほしいからとビジネスプランをもってきていただいたこともありました。とはいえ、自分の持っていた4枚のクレジットカードの内の3枚は使用できなくなったこともありました。

そして2017年にはDMM.comグループに一度買収されました。この時はpixivの創業者の方から高い可能性のあるネットカルチャーとして評価いただいたことが背景にありました。ただ、これは事業継続のための選択としてのことです。創業してからたくさんの人々に出資してもらいつつ事業継続してきたわけですが、やはり夢を実現するためには大きな資金が必要になるので、DMM.comグループの傘下に加わったわけです。

そして2021年1月にMBO※を実施して全株式を買い戻し、再び事業を盛り上げていこうと動き始めました。

※MBO
Management Buy-Outの略。経営陣(あるいは従業員)が自社の株式や一部の事業部門を買収して独立すること。


―熱心なファンもいて支えられてきたのですね。今ではユーザーは1000万人を超えていますが、なぜここまで登録ユーザーが増えていったのでしょう

登録ユーザーが増えていった背景には、ニコニコ動画やボカロにはじまる「歌ってみた文化」があったからだと思います。自分も簡単にアーティストの楽曲を歌ってみたいと思う人にとっては、パソコンもオーディオ機器もマイクも要らないわけですから、スマホ一つで世界中に自分の歌声を届けることができることに共感してもらえたのです。

それに自分のアップした歌に対し、色々な音を重ねてコラボすることができるというのも、より多くの人に参加してもらえるポイントになったと思います。

―ユーザーの7割が20代以下だそうですね。さらにユーザーの半分は外国の方ということです。10年前の若い人と今の若い人とでは感覚も異なりそうですし、日本のみならず外国の方からもここまで長く支持されたのはなぜでしょう

歌うことの楽しさや、歌手に対しての憧れというのはいつの時代も、世代や国籍が異なっても共通のことだと思います。みんな「何者かになりたい」と思っているものです。特に10代や20代の若い方にはその欲求が強いということなのだと思います。

サービス開始当時と比べればプラットフォームは多様化していますが、ディストリビューターであるApp Storeは世界に向けても配信してくれていますし、言語対応すれば自然と海外ユーザーも増えてくれました。そうして少しずつユーザーが増えていき、投稿者が増えていくとインフルエンサーも出現し、どんどん登録者が増えていったということです。

中には50代の方もいて、その中でも6人のコアユーザーの方がいるのですが、実際にオフィスに来ていただいたこともあります。その内の2人は社員になりましたし、先ほどの資金がショートしたという時にビジネスプランをもってきてくれたのもその方々です。A3用紙にマネタイズプランを書いてプレゼンしてくれましたね。

40代や50代の方は、昔、音楽をやっていたという方が多く、自分の演奏した楽曲を若い人が喜んでくれているのが楽しいと言ってくれています。

―世界中の人が音楽で繋がり合う世界を実現したいとお話されていました。どのような状態になったときがそのような世界と言えるのでしょう

世界中全ての国々にユーザーがいて、彼らが文化圏を跨いでコラボレーションして素晴らしい作品が続々と生み出されている状態です。まだまだ利用されていない国もあるし、実際には各国のローカル曲が多く投稿されているという状況なので、もっと多くの国の人々に届け、国を超えて横ぐしで繋がれるような仕組みや企画を考えていきたいですね。

―多くのユーザーに愛されるサービスに成長し、更に、世界中にアクティブユーザーがいる状態にしたいということですが、改めてここまでサービスを成長させてこられた秘訣は何でしょうか

何を成し遂げたいのかという強い信念がないと続かないものです。世の中には色々な起業家がいますが、起業の動機は人によってバラバラです。マーケットから計算をして事業を考えるタイプの人もいますし、私のように原体験を大事にするタイプの人もいます。

でも、それぞれ何かを成し遂げたいという強い意志があるはずです。そこが弱いと一瞬、モチベーションが上がったとしてもすぐにしぼんでしまいます。

また、どんな事業であっても初期の頃は低空飛行することが多いです。2~3年してようやく自立してまともに飛行できるものです。そしてその状態になるためにはスタート時の仲間をつなぎ続けておかなければなりません。ただ、この仲間も事業が成長していくと、どこかのタイミングで入れ替わるものです。

―仲間をつなぎとめておくためには何が必要になるのでしょうか

結局はベタなことですが、大きく三つあると思います。

一つ目には「ビジョン」です。何を実現しようとしているのか、それに対してワクワクしてもらえるか、共感してもらえるかということです。ここは大前提です。

二つ目には「人」です。この人となら働きたいと思ってもらえるかどうか。ビジネスとしての繋がりだけではうまくいきません。

そして三つ目は、現実的な話ですが「報酬」です。どんなに共感してもらっても、当たり前ですが人は霞を食って生きてはいけない。適切な給与、事業がうまくいったときのインセンティブ設計等、報酬面もきちんと気を配る必要があると思います。
 

好きなこと、向いていること、社会が求めていること。何者かになるとは

―最後に、文原さんは「何者かになりたい」と考え色々と模索されてnana musicを立上げられました。読者の中にも同じように「何者かになりたい」と考える人もいるかもしれませんが、そのためには何が必要になるのでしょう

高専の出身ということもあって、時折、高専の学生に講演することがあるのですが、その際に「好きなこと」「向いていること」「社会が求めていること」の3つがそろったものが自分の天職であり、何者かになるために必要なことだと伝えています。

「好きなこと」とは日々の生活の中で「これ、ちょっと面白いな」とか「これ良いよね」と思えることやもののことです。何に対してそう思うのか、その時の感覚を大事にしてほしいですね。一方で、好きでも結果が出ないと続かないもの。人間は評価されることに喜びを覚えるものです。

だから、「向いていること」も同時に探していかなければなりません。向いていることというのは、周囲が評価してくれることです。私の場合、本音を言うとずっと家で引きこもりたいと思っているタイプなのですが(笑)、でもCEOとして色々な人を巻き込み、チームを作り、資金調達もしています。自分では気づいていなかったのですが、自分ひとりで何かを作り実行していくよりも、人々を巻き込みチームを作って物事を進めることが向いていたようです。

「好きなこと」と「向いていること」だけでもその人には適した仕事なのだと思いますが、リターンの最大化を求めるなら「社会が求めていること」を意識しないといけません。言い換えれば社会の中で「レア度」の高いことをするということです。皆が出来ることだけしか出来ない人はレア度が低いですが、例えば最近だと機械学習とかブロックチェーン関連に深い知識を持っているエンジニアは重宝されます。アバターを作れるスキルもそうですね。Web3.0やメタバースの時代に向けて、これから必要不可欠だからです。社会が何を求めているかは、注意深くメディアなどの情報を仕入れていれば知ることができます。

―「好きなこと」「社会が求めていること」は見つけることができそうですが、「向いていること」を見つけるにはどうすればいいのでしょうか

学生や社会人経験がまだ浅い方にとっての「向いていること」はほとんど偶然で見つかるものだと思っています。10年、20年前はゲームばかりやっていてはいけないという風潮がありましたが、今はプロゲーマーとして稼ぐ人がいたり、YouTuberとして活躍している人もいますよね。なので、これは「向いていること」として不適切だとか、そういったレッテル貼りはまずはやめた方がいいのかなと思います。

例えば学園祭の実行委員をやった時とか、友人と旅行に行くときの幹事をやった時とか、そこで周囲から褒められた経験がある人は、実はマネジメントに向いているのかもしれませんよね。

「向いていること」を見つけるためには極力外に出てみる、何かに触れてみる、体験してみるということを大事にしてみてください。それに、たとえ新卒で入社した会社や、そこで任された仕事が自分に合わないと思ったとしても、定年まで同じ会社で過ごす時代でもありません。そうした時は、自分に向き合うために1年くらい旅してまわるのもいいかもしれません。
 









株式会社nana music
2011年4月に創業メンバーと共にnana projectが発足。同年10月、MODIVA JAPANのインキュベーションプログラム第1号に採択。その後、12月にnana music, Inc.として米国で法人化した後、2012年8月iOS版nanaを日本リリース。2013年4月に株式会社nana musicを日本法人として設立。音楽コラボSNS「nana」を運営し、総投稿数1億回、総コラボ数8800万回を誇り、登録ユーザー数は世界累計1000万人にのぼる(その内、500万人が外国人ユーザー)。個人が歌や演奏をアップしコラボするだけではなく、アーティストの新曲キャンペーン(アーティストが発表した新曲の音源にユーザーが歌をコラボする取り組み)や、コロナ禍でアーティストのライブに行けないユーザーがライブ会場で流れる楽曲の公式伴奏に歌声をコラボし、指定のハッシュタグを付けて投稿することで、ライブ会場で歌声が流れるというアーティストとファンの合唱企画などとしても活用されている。その他、ネット発アーティストの発掘や、オーディションなどで使用されるなど、注目を集めている。

この記事を書いた人

20代の働き方研究所 研究員 Y.S.

1991年12月生まれ。
新卒で大手新聞社に入社。記者として取材・記事の執筆を経験後、Webサービスを手掛ける企業に転職。約20名のメンバーのマネジメントの傍ら、Webサイトの開発・サイトの集客プロモーション・取材やライティングを幅広く担当。20代の働き方研究所では、企業へのインタビュー取材・取材記事執筆を担っている。
#カスタマーサクセス #コンテンツディレクション #イベントプロモーション #仕事終わりの晩酌が日課

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